「リハビリの世界って、何か変だと思わないか?」
このタイトルは「リハビリの結果と責任」という本の帯に書いてありました。
理学療法士として8年働いている私は何事⁉とついその本を手に取りました。
この本を読んだ後、この本はぜひあなたにも読んでほしということで、紹介したいと思います。
どんな人に読んでほしいか?
- 理学療法士になりたての人
- 理学療法士としてあまり仕事がうまくいっていない人
- 理学療法される側の気持ちを知りたい人
理学療法士~と表しましたが、作業療法士や言語聴覚士、ほかのセラピストも是非、読んでみてください。
あなたは理学療法士として働いているときどのような責任を持って働いていますか?
しっかりと相手と話し合いはできていますか?
この本を読むことできっとあなたの考えが変わるはずです。
それではどうぞ!
この本の一番の特徴は一般社会人からの疑問
この本の著者は企業人として生きてきた人です。
つまり医療を仕事にしている人ではないです。
企業人として働いていた人が交通事故で生死を彷徨い、目を覚ますと、声も出せないくらい身体が不自由になっていました。
時間が経つにつれ抱いていく疑問点
死の淵から抜け出し、リハビリ生活が始まります。
交通事故を起こしてしまった私は、その影響で重度の障害者になってしまいました。当初、それでもまだ私の頭の中は企業人として戦闘モードいっぱいで、置かれた厳しい現実と頭の中で考えることがあまりにも乖離しすぎていたにもかかわらず、気持ちのどこかで「リハビリのことはリハビリスタッフにお任せしていれば大丈夫だ」と、一方的に安心していました。
リハビリの結果と責任 はじめに p.ⅲ 三輪書店
上記の引用では「リハビリのことはリハビリスタッフにお任せすれば大丈夫」
と楽観的でした。
これは著者に限らず大多数の人が思うことではないでしょうか?
なぜならリハビリのプロフェッショナルで、間違うことはないと思っているからです。
しかし、著者は時間が経つにつれリハビリスタッフの言葉やリハビリのやり方にも疑問を感じ始めました。
どんな疑問かというと
- 患者側に納得のいく説明を医療者がしていない
- このリハビリはなにに繋がっているのか?それを行えば歩けるようになるのだろうか?と目的がわからない
- 将来が真っ暗。自分は何を目標にしているんだろう?
企業人と働いてきた著者には双方がwin-winになるようどちらも必死で関係を保とうとする固定観念を持っていいました。
しかし、「次の転院先を…」や「体が硬くならないようにしましょう」など医療者側の納得のいく説明されず、win-winの関係は保てていないと感じていました。
そして、企業人として働いてきた社会と医療の社会を比べていました。
・企業で何かの事案が発生する時
「立案・企画」から始まり「見積」「契約」「推進・管理」「収支報告」「責任」という具合でつながっていく。
・医療の世界では
立案・企画…リハビリプラン
見積…カンファレンス、予後予測
契約…入院許可、リハビリ指示
推進・管理…情報を収集し状況を把握し、不自由なく目標に向かってリハビリプランを遂行
収支報告…患者または家族が満足または満足に近い状況で退院できたかどうか
企業なら収支報告の結果がマイナスであれば「責任」を負います。
「責任」が大きければ「左遷」「転属」「減給」など、形になってあらわれる。
医療の世界ではこの責任の部分が曖昧になっているのではないか?
疑問への解決策
患者側が納得、満足できるようなリハビリプラン(立案・企画)をし、カンファレンスで医療スタッフまたは本人・家族と情報を共有していく(見積)。
契約が済むと、立てた計画が遂行できるよう逐一状況を把握(推進・管理)し、退院を目指す(収支報告)。
収支報告の結果がマイナスであった場合でも一般社会と比べると責任はあまり感じないかもしれません。
しかし理学療法士が訴えられるというケースが発生してきています。
大きく責任を負わないためにはしっかりと結果(収支報告)を残すことが必要です。
文字にしてみるとすごく当たり前のことを書いていることになりました。
しかし、私も8年の臨床の中でもその当たり前のことができないことが多々ありました。
例えば、認知症で身寄りが遠方で高齢者のケース、自宅退院は難しいため、話し合いしたくても家族の都合がなかなかつかずに時間だけが過ぎていくなど分かってはいるケースなど上手く事が運ばなかったことがありました。
著者は説明がなく、結果が伴わなかったから、当時関わってきた医療スタッフには責任が不十分だと感じたのではないでしょうか?
だんだんと生きる希望をなくしていった中での希望
転院を繰り返し、「死にたい」と愚痴をこぼすほど絶望しているとある医師とリハビリスタッフに出会えました。
今まで転院を繰り返した病院…自分の将来に対して何の指標も見い出せなかった。
最後の病院…リハビリを頑張れば、まだまだ自分の人生を少しでも取り戻せるかもしれないと感じた。
最後の病院では現状(予後予測)と目標に向けたクリエイティブな方法でのアプローチによって今までの暗闇の中から光が見えてきたのです。
リハビリの成果が目に見えてくるに伴って自分の気持ちの変化にも気づいています。
数ある著者の思いの中で2つ特に印象に残ったので簡単に紹介します。
1つは「立案・企画」「見積」「契約」「推進・管理」「収支報告」「責任」は必ずしも一般社会とは同じではないということ。
2つ目はだんだんと正常者からの目線から障害者からの目線に変わったことです。
すでに障害の受容を勉強した人は気づくかもしれませんが、知識のない素人の人でも感じることがあるのだなと思いました。
最後の病院では様々なことがプラスに働き、実生活に近づいていきました。
もしあなたが重度の障害でリハビリ生活を余儀なくされたときにどちらの病院で過ごしたいですか?
そう問われると結果は単純明快ですよね。
また、長い入院生活から退院後の生活の変化も描かれています。
入院生活では医療スタッフが近くにいたので、何があっても安心できますが、家に帰ると奥様と二人で生活しなくてはいけないのです。
生活への不安、奥様の負担など待望の実生活が始まったのに、新しい試練が始まるのです。
著者は話し合うことで無事に試練を乗り越えていましたが、退院後の問題は健康な人だとまず気づきませんでした。
貴重な意見を知ることができます。
終わりに【あなたは責任を感じながら仕事はできていますか?】
この本を読んであたなはどう感じるのでしょうか?
当たり前?衝撃的?そう思う?
知らなかった人は新たな気付きを
知っていた人は改めて確認を
求める情報によって感じ方は違うと思います。
この本は出版は2009年ですが、出来事は1990年代に起きたものだと推定します。
介護保険制度(2000年~)がまだ始まっておらず、病院を転々とすることができていました。
介護保険制度が始まっている現在とは少し状況が違うので、イメージが湧かない部分もあると思います。
私も2010年以降に資格をとったので、以前の時代を体験していませんが、リハビリ職はまだあまり注目されておらず、制度も曖昧であった。
医療スタッフによるチームアプローチは不十分であった。
今と比べ、インフォームドコンセントが不十分だった。
などが考えられます。
しかし、制度は変わっていますがリハビリを受ける側の人の思いは今も昔も変わりません。
リハビリを受ける側の気持ちを知ることができる本だと思っています。
ぜひ読んでみてください。